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スリランカの文化

古代都市シーギリヤ

古代都市シーギリヤ(Ancient City of Sigiriya)

シーギリヤは、スリランカ文化三角地帯のダンブッラとハバラナ間のイナマルワ・ジャンクションを東へ10キロメートルほど入ったところにある巨大な岩山を中心とした幻の王宮跡です。当時、アヌラーダプラのダートゥセーナ王(King Dhatusena)の長男で、シーギリヤの地を統治したカーシャパ王(King Kasyapa)には、腹違いの弟モッガラーナ(Moggallana)がいました。モッガラーナの母が貴族の娘だったため、弟に王位を奪われることを恐れた長子カーシャパは父を幽閉して王位を剥奪。その後父を生き埋めにし、200メートルほどの高さを誇るシーギリヤの岩山への宮殿建設に没頭しました。完成後、11年間にわたりこの岩山に王座を置いたのです。
壮麗なシーギリヤ王都の都市計画は、カーシャパ自らと彼のお抱え建築家により遂行されたといわれています。
岩山の中腹にある美女のフレスコ画(シーギリヤ・レディ)は、スリランカを代表する芸術として広く知れ渡り、スリランカにおける唯一の非宗教的な壁画としても知られています。そのほか、王宮、水の広場(Water Gardens)、要塞などの総合的な設計プランも見事で、当時の建築と土木工学のレベルの高さを伝えています。

シーギリヤ・ロック (Sigiriya Rock)

緑豊かな平原の中に突然現れる何とも不思議な形をした奇岩シーギリヤ・ロックの誕生は、約一万年前の中石器時代に遡ります。現在、スリランカの一大観光名所であり、ユネスコの世界遺産にも登録されているシーギリヤ・ロックの名前が世に知られるようになったのは、5世紀頃のこと。「カーシャパ王」がこの地を統治したのがきっかけになったといわれています。

当時、シーギリヤ一帯を統治していたアヌラーダプラのダートゥセーナ王(King Dhatusena)の長男であるカーシャパ王子(King Kasyapa)には腹違いの弟モッガラーナ(Moggallana)がいました。カーシャバ王子の母は王の第二夫人で身分の低い生まれ。一方、弟であるモッガラーナの母親は貴族の出身でかつ王の第一夫人であったことから、このままだと弟のモッガラーナに王位を奪われると恐れたカーシャパが、父である王を幽閉し、王位を剥奪してしまったのです。さらに、王家の隠し資産のありかを教えるよう実の父である王に要求すると、王は自分が成し遂げた最大の業績と自負していた広大な貯水池にカーシャパを連れて行き、「これが私の全財産だ」と答えたといいます。からかわれたと思ったカーシャパはこの答えに激怒し、王を生き埋めにして殺害してしまいました。弟であるモッガラーナは兄からの刺客を恐れインドへ亡命。その後、カーシャパは弟からの復讐を恐れ、7年間もの歳月をかけて海抜約200メートルの高さを誇るシーギリヤ・ロックの上に要塞宮殿を建設。宮殿完成後、カーシャパは11年間に渡り、この岩山に王座を置き、身を隠していました。その後、南インド軍からの援軍を受けて戻ってきた弟がシーギリヤに攻めてきたことで、カーシャバは自ら短刀で喉をかき切り、自害したといわれています。このように、王位継承争いの悲劇の舞台となったシーギリヤ・ロックですが、まるで空間に浮かんでいるような場所に建設された王宮、水の広場、要塞などの設計プランは大変素晴らしく、当時の建築と土木工学のレベルの高さが想像できます。この壮麗なシーギリヤ王都の建設は、カーシャパ王自らと直属の建築家により行われたといわれています。岩山の中腹には、「シーギリヤ・レディ」と呼ばれるフレスコ画の美女たちが描かれていて、現在も妖艶な微笑みを浮かべながらシーギリヤを訪れる訪問客を迎えてくれます。このシーギリヤ・レディの壁画は、スリランカにある唯一の非宗教的な壁画といわれています。また、フレスコ画のちょうど真下に位置する場所に「ミラー・ウォール(鏡の回廊)」と呼ばれる壁があり、ここにはカーシャパの悲劇の物語の叙事詩や初期の訪問者による詩などが彫り綴られています。

「スリランカ政府観光局 ホームページより」

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